・ぼくには、ろくでもないけれど好きな人が、
けっこうたくさんいる。
それはそれは、ろくでもなかったり、
どうしょうもないくらい馬鹿野郎だったり、
見え透いたずるさを持っていたり、
あきれるほどすけべだったり、
そういう者共のことを指折り数えると、
いくらでも思い出せて、眠れなくなるくらいだ。
ろくでもないけれど好きな人がいるというのは、
どういうことなのだろうか。
・こういうことなのではないか、と思った。
みんな「なにか、くれた人」なのだ。
おもしろいことを、よく話したとか、
いい歌を歌ってくれたとか、
かっこいい姿をキラリンっと見せてくれたとか、
迷惑な場面に巻きこんで、奇妙な時間をくれたとか、
じぶんの代わりにちょいと悪いことをしてくれたとか、
うれしそうにぼくの話を聞いてくれたとか、
ぼくの気まぐれにつきあってくれたとか、
みんな「なにか、くれた人」なのだ。
なかには、言い争いをしたまま、死んじまった人もいる。
現実に会ったこともないのに、
いっぱい「なにか、くれた人」だっている。
『徒然草』の作家が、「ものくるる友」はいいね、と、
書いているのを知ったときは、
ずいぶん露骨なことを、と思ったものだけど、
ほんとうに「なにもくれない人」よりも、
「なにか、くれた人」のほうがいいのだとぼくも思う。
ぼく自身が、正直なところ、そう思っているのだから、
ぼくのほうも、相手の「なにか、くれた人」でありたい。
ろくでもない人そのままで、
「なにか、くれた人」になっていられるのがいい。
衰弱して「なにか、くれた人」になれないと思うと、
いい人になろうとしたり、まちがってない人になったり、
立派そうな人のふりをしたりするものだ。
このごろどうも、いい人にさせられそうになってるので、
秘密の「エロ・ツイッター」とかやろうと思ってる。
今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
読んでくれる人は、けっこう「なにか、くれた人」です。
イトイさんの今日のことば、すごく好き
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